こんにちは、もんふじです。

前回は、しなくていい我慢とするべき我慢の違いについてお話ししました。

それは我慢しなくていい!

今回は、それに関連して、妻が見つけたとある記事について思うところをお話しします。

 

 

妻が見つけた記事とは、ある中学生が書いたもので、要約すると以下のとおりです。

動物は、生命の危険にさらされると本能的に逃げるのに、

なぜ人間は逃げることを良しとしないように教えられるのか?

これ、かなり核心を突いた深い一言だと思います。

確かに僕たちは、逃げることは良くない、かっこ悪い、と教えられます。

太平洋戦争中、旧日本兵は、逃げるくらいなら自決しろと命令されていたのに対し、
アメリカ兵は、危なくなったら逃げるように命令されていたそうです。

そういった古くからある日本固有の精神論でしょうか、
いまだに根強く残っているように思います。

 

でも本当に逃げることは良くないのでしょうか?

 

僕は必ずしもそうであるとは思いません。

 

前回、我慢するに見合う価値のあるものにだけ我慢すべきとお話ししたのと同じように、
たとえ周りからかっこ悪く思われても、
自分の価値観で判断した上で逃げるべきと判断したものは、
逃げても構わないと僕は思います。

なぜなら、あなたの人生だからです。(我慢すべきか否かの判断と同じですね。)

 

僕自身、前職である公務員を辞めたのは、自分の価値観に照らしてみて、
それ以上続けることに意味を見出せなかったからです。

それはもしかしたら、同僚の目には逃げたように映ったかもしれません。

でも、それでも良いと思っています。

なぜなら、僕の中ではそれ以上挑む価値のないものだったからです。

 

そう、「挑む」と「逃げる」は非常に似ています。

「てへん」と「しんにょう」の違いだけです。

 

どちらの字にも中には「兆」が含まれています。

「兆」はきざし、物事の前ぶれ、という意味があります。

また、数や量が極めて多いという意味もあります。

 

あなたが今取り組んでいる物事で、
これから挑むべきか逃げるべきか悩んでいるものがあったら考えてみてください。

その「兆」は、あなたが挑んで掴み取るべき多くの価値ある「兆」なのか、

それとも逃げるべき、多くの害を含んだ「兆」なのかを。

 

 

「挑むべきもの」と「逃げるべきもの」は似ている上に、

周りからの雑音もあるので、判断は難しいと思います。

 

しかし、そういう時こそ、
他でもない、あなた自身の人生における重要なターニングポイントであると思って、
あなた自身の価値観を大切にして慎重に判断していただきたいと思います。