こんにちは、もんふじです。
今回は、しなくていい我慢とするべき我慢の違いについてお話します。
ちょっと昔の話ですが、
その違いについて気が付いた時のエピソードがありますので紹介します。
僕がまだ公務員だった頃、近所のおじいさん(元公務員)と世間話をした時のことです。
おじいさん「仕事は慣れたかい?」
僕「ええまぁ、ボチボチです。」
おじいさん「若い時は給料安いし、仕事内容は割に合わないよねぇ。」
僕「そうなんですよね。変な言いがかりつけられることも多いし。」
おじいさん「我慢だよ。公務員は我慢が大事。」
僕「そういうもんですかねぇ~。」
…とまぁ、何気ない会話だったわけですが。
僕はこの会話に違和感を感じていました。
何で違和感を感じたのか自分なりに考えてみたところ、ある答えにたどり着きました。
昔と現在とでは、勤務条件が違いすぎて我慢の意味が違ってしまっていたのです。
実はこのおじいさんは、80歳を超えた方でとっくの昔に公務員を引退しています。
昔の公務員といえば、完全なる年功序列の上に減給など無縁の環境だったわけです。
つまり、勤め続けていれば給与は勝手に上がった時代です。
しかも給与水準は今よりはるかに好待遇。
多少仕事がきつくても、我慢するだけに見合う条件があったわけです。
では現在はどうか?
良くも悪くも年功序列制度は残っていますが、減給は普通にあります。
よく世間一般では、公務員は減給がないと言われていますが、
正式な減給という規定はまず適用されない
(懲戒処分レベルの時に適用されます。)というだけで、
俸給表(公務員の給与額を階級や勤続年数で定めた表)の改訂は頻繁にあり、
事実上の減給は普通にあります。
また、昔は定年間際で年収1,000万円超えもあったらしいですが、
現在では、最高に昇進して定年まで勤めても年収は800万円台止まりです。
1人当たりの仕事量も、冗談抜きで昔の2倍以上になっています。
少なくとも僕にとっては、我慢するだけに見合う条件ではありませんでした。
このように、我慢すべきかどうかは、自分の価値観に照らしてみて、
我慢するだけに見合う価値のあるものかどうかを考えて判断する必要があります。
何でもかんでも我慢すべきというのは大きな間違いです。
精神論を重視している人で、よく何でも我慢するべきとか言う人がいますが、
意味のある我慢と意味のない我慢が存在します。
そしてその判断基準はあなたの価値観です。
なぜなら、人生は時間の固まりで、有限だからです。
そしてあなたの人生は他でもないあなたのものだからです。
この例に限らず、日本人は我慢を美徳とする文化があります。
それに加えて同調意識も強いです。
すると、「みんな我慢してるんだからお前も我慢すべき。」という謎の理論が展開されます。
そんな根拠のない意見に振り回されないよう、
自分の人生における労力の割き方は自分自身で決めましょう。
次回:挑むか逃げるか